丘の上に立つできあがったばかりの教会は、遠目に見ても荘厳なイメージがする。
建物に近づいてゆく道すがらに真横から眺めると、中には何があるのかすら想像もつかない。
いかにも地面から直接屋根が生えているかのようにも見える。
正面に回ると正三角形のフォルムだけが見え、その不可思議さがたどり着くまでの期待感を盛り上げてくれる。
なるほど、地域のモ二ユメントになる建物と言うのは一種異なる力を持っている必要があるのだと考えさせられる。
エントランスに近づくと、大きなガラス面が見える。これを抜けて中に入ると一転して、連続した垂木の流れが空間の最大のエッセンスとなっている。
12mの尺梁が合掌して並んでいる姿を、荘厳と言わずして何と言うのだろうか。
また、中国を旅する中でも、この空間に入った瞬間に昧わう、天然の木の香りというのは誰でもがショックに感じるに違いない。
この中国杭州に建つ大礼拝堂は、日本の木の代表でもある南九州の鉄杉でできている。
日本と中国には2000年以上の交流の歴史があり、同じように建設の協力は行われてきた。
四天王寺や法隆寺でも、1400年ほど前に中国らの技術者がわざわざ日本にやってきて手ほどきをしている。
法隆寺の改修の際に、こうした職人たちが書いた落書きが多数見つかっている。
今回、進められてきた工事の中でも、職人以上に通訳の1人が、率先して高いところにも登りハンマーを振るっていたという。
おそらく、法隆寺でも同じような風景が見られたに違いない。その落書きで有名なのは、台座裏に書かれた文字に書かれた文字である。
『相見了陵面未識心陵了時者』
現代の日本語で読んでも、中国語で読んでも、すぐには意昧が通じないという。
しかし、こうして現場に携わった職人の気持ちで読み解けば、なんとなく当時の苦労が解かる気がする。
「了」は「了解」の意昧であり、「陵」は中国の「菱」や「稜」のように「角」と考える。
「心」は「芯」と考えれば、それこそ職人が日常的に使っている言葉である。
大意としては、「互いに会って、角と面の使い方は解かっていました。しかし、芯と角の使い方は知りませんでした。今はその知る時を得ました。」
とでもなろうか。法隆寺には回廊に何本もの柱が立っている。
通り芯を打ち、予め削りだした柱を並べてゆけば、効率が良く正確な施工ができる。
それを考えれば、1400年も前に中国から、言わばプレカッ卜の技術を教わっていたのである。
現代ではその工業化されたプレカットの技術は、むしろ日本が世界に先んじている。
これまでは教えられる方であった中国に対して、少しでも木造建築の世界で、こうして日本から伝えられることができたのである。
まさに1000年を超えた恩返しである。